top of page

自己紹介と断捨離


 23歳、実家暮らし、現代美術作家志望、大学5年生、今年度での卒業の目処はない、バイトはしていない、お小遣いは貰っていない、制作の材料費や雑費の為に4ヶ月に一度、有償ボランティアの治験をして食いつないでいる(休薬期間として4ヶ月が経たないと新しい案件を受けられない)。


それでもどうしても素寒貧になってしまってどうにかしてお金を作るしかない時は、売るに売るに売って洗練されてきた本や服や道具たちから、無理矢理に読まない使わないと理由をつけて小銭に替えていた。


そんな時、エアコン業者が屋根裏に入るというので屋根裏に放り込んであるものを降ろすことになり、中高生の頃集めていたフィギュアが沢山出てきた。月一で1/8を買って部屋の棚から溢れて上手に飾れなくなって、お金に余裕がでてきたらショーケースを買って飾ってやるぞと取っておいたお姫様たちだ。


エアコン業者は複数回来るらしいので一々出して収まってなどしてられない。

でかい段ボールに入れたまま修理が終わるまではリビングに置いておくことになった。

とっても邪魔だがまあしょうがない、未来のご新居の為にもお姫様たちにはいけず石の如く鎮座しておいてもらおう。


普段から物を片付けたり家具の配置をより住み良いように工夫してみたり、整理整頓するのが好きなのでこの状況は不服だった。


「ミニマリズム : 本当に大切なもの」というドキュメンタリー映画を夕飯のお供に観た。『富や名声を手に入れても本当の幸せにはなれない』。ジム・キャリーの言葉が紹介される。そういえばジム・キャリーは、『人生で手に入れたものはいつか朽ちてバラバラになってしまう。最後に残るのは、あなたの心の中にあるものだ』とも言っていたな。


映画を観ている途中で強力なお片づけ衝動に駆られて大人しく観て居られず、深夜日付が変わる頃に万物大移動を始めてしまった。ベッドの下からガレージまで要らぬものはいねがあと要らぬもの小脇に奔走した。目に留まったものは全て要るか要らぬかの審議にかけられ、埃なんかも目につけば舐め殺すように抉り去った。


視覚的セラピー効果やなにか良性の機能を果たすもの以外は一切合切捨てることにした。

そんなこんなでリビングのいけず石の処遇はというと、ベッドの下から恐る恐る抱え出したWANIとかMUJINとかホットミルクとかの名を冠す聖書たちと共に駿河屋さんにお願いすることにした。

数多青春の輝きを駿河に流し、僕はなにを残せるだろうか。



本稿は“小台マガジン22号(2019.1)”に掲載されています。

bottom of page