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七里ヶ浜の海へ行った。

  • 2019年9月29日
  • 読了時間: 2分

 行合川が汽水域へとそそぐ水の流れるところ、意外と透き通ったこの水は川上の浄化センターからやってくる。


毎日集まる場所を変える自由形の砂島と小石たちはまばらに散っている。


ただ石と水の流れを触っていただけでもう15時になっていた。


石はその場を離れると魅力をなくしてしまうものだが、持って帰らざるを得ない魅力を備えているのでなんだかんだ連れて帰る。


割れた陶片が以外とぽつぽつ落ちているもので、見つけると九分九厘ポケットに突っ込んでしまう。あの白地に藍の、柄は和風なものが多い。青磁釉のかかったものもたまにある。


割れ加減の適当な、寿司一貫盛るのに丁度よい大きさのものは「一貫皿」と呼ばれ、高級店などで使われることもある。小さな破片はガリ皿として使う。……という妄想をし、久兵衛あたりかなんかが買付にこないだろうか……。


連れ帰った石や陶片たちを水洗いし、見たり触ったりしてみる。濡れているときと乾燥しているときでは表情が全く違う。濡れているほうが色に深みがあっていい趣がある場合が多い。水も滴る~と言うが、この場合それをちゃんと物理で証明している。


握ったときの大きさや重み、窪みに指を這わせたときの質感のよい石は「育て石」と呼び、日々触ったり一緒に寝たりして手のひらの皮脂なんかを吸収させて艶を出させ魅力や愛着を育てる風習がある。これもまた妄想のでっち上げであるが、おそらく同じようなことをし、考えている人は幾ばくか居る筈であろう。


写真はネットで見つけて勝手に載せたもの。上述する場所はまさにここのことである。

 
 
 

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